「流海、別れよう」

別れ際、静かに彼は告げた。
驚く彼女を見つめながら。

「もう――愛想が尽きたんだ。君みたいな面倒な女、もううんざりだっ――」

海を眺める彼の顔は、彼女の霞んだ視界では見ることが出来なかった。
涙を耐え切れなくなった彼女は、走り去った。

彼女は、彼が名残惜しそうに彼女を見つめていたことを知っていた。

誰よりも優しくて、誰よりも嘘がへたくそな、
不器用で大好きな彼なりの別れ方だった。

その日の海は夕陽色で染まっていて、
とても綺麗だった事だけは、覚えている―――。







あなたが此処にいなくても、きっと世界はまわり続けるから





彼への、大好きな響‐ヒビキ‐への思いが溢れて止まらなかった。
彼女、流海‐ルミ‐はまた、あの日の海へ来ていた。

何度思い出しても、彼のことが嫌いになれなかった。

分かれたくなかったのに。
分かれたくない。
まだ、諦めきれない。
こんなに彼が好きなのに。




一人、静かに涙を落とす流海に、
一つの人影が近づいた。



「流海、隣、良いか?」


「――波人」


幼馴染の波人‐ナミト‐だった。


波人は響の大親友でもあり、従兄弟だった。

響と流海の仲介をしたのも彼で、
少し前まではいつも三人で過ごしていたものである。

何時からか波人の知らないうちに、
流海と響は友達以上の関係になっていた。


―――波人の知らないうちに。


海を見つめながら、静かに涙を流す彼女に、
彼は複雑な思いだった。



「ねえ、波人は知っているんだよね。響が何で私と別れたのか」

流海は呟いた。

「私、知らないの。でも、響は本気であんな事言ってないってわかる。
響、優しすぎるからあんな事言わないよ」


―――響の奴、本当に何にも言ってないのか。面倒な事しやがって。


波人は複雑な思いのまま、
そっと、溜息を吐く。

「教えて」
「え?」
「響に何があったのか教えてよ。」


流海は真剣な目つきで波人を見つめた。
口止めされていた。
それは、流海の幸せを思ってのことだった。

しかし。
これではあまりにも流海が可哀想じゃないか。
でも、もしその理由によって流海が傷ついてしまったら。

波人にはとても言う事が出来なかった。



「流海――悪ィ・・・」



静かに言った波人の言葉は、波に消えていった。
流海は潤んだ目を伏せて、声を上げた。

「私、どうやって生きていけば良いの?
嫌われちゃったのかな。甘えすぎてたのかな。
まだ、響の事が諦め切れない・・・っ・・・・」

声が嗚咽に変わり、流海は自分の手のひらに顔をうずめた。
響がいないと生きていけない。
そこまで、彼が好きなんだ。

悔しかった。
こんなにも響は流海の心の中に入っているのだ。


―――はじめに一目惚れしたのは俺だってのに。


最初から、波人は流海が好きだった。
でも、幼馴染という関係上、告げることが出来なかった。

流海は響に一目惚れした。
響も、流海に引かれたのだ。
しかし、結果はこの通り。
響は彼女を手放すことになった。

―――あいつ、俺に流海を譲ろうってのか。

隣の流海は泣き止む様子無く、ひたすら涙を流していた。

残酷かもしれない。
でも、これ以上、波人は彼女を放っておけなかった。



「流海、お前、傷つくかもしれないし、万に一つもよりを戻す事はできない」

濡れたまつげを瞬いて、流海は顔を上げた。

「それでも、知りたいのか?」

流海は、ゆっくり、しかししっかりと頷いた。



***


「それで、君は流海に説明したんだ?」

黙って波人の話を聞いていた響きは、マグカップをおいて、不適に微笑んだ。
それは、どこか淋しそうな、申し訳なさそうな微笑だった。

「軽く、な。」
「上手く、俺の事を罵ってくれた?」

「まさか。そのまま、真実をいっただけだよ」

あのあと、波人は流海にこう告げた。




――俺ん家の、響の父親が大企業の社長だって知ってるだろ?
あいつ、昔から親に決められていた許婚が居るんだ。
でもそれは口約束で、あいつは自分で決めた奴じゃないと結婚しないって言ってたんだ。

だから、お前とのことも真剣に愛していたと思う。

でも半年前、その許婚が事故にあった。
両足が使えなくなってしまって今は車椅子の生活、殆ど寝たきり状態。

彼女は心底響に惚れていて、結婚の事も本気だった。
でも足手まといになるなら死んでしまいたい、そう言ってたらしい。
それで、この前自殺騒動を起こして。
向こうの親も、響に頭下げて頼んだんだ。
『娘と一緒になってやってくれ』と。

実際彼女に会ったときに、思ったそうだ。
『この娘を幸せに出来るのは、俺だけだ』ってな。

流海のことは本当に気にかけていた。
だから、わざと突き放すような事言ったんだ――。





「それで?流海はどうだった?」


―――そう。そうなんだ。それじゃあ、仕方がないね。


「無理やり笑って、帰ってった」

響はそっと溜息を吐き、波人を見た。
自分で流海に説明しなかった理由はもう一つあった。

波人と流海をくっつける為だ。

初めて会ったときから知っていた。
流海に対して波人が恋心を抱いていることも。
流海が自分に一目惚れしたことも。

それを知っていて、流海を彼から奪ったのだ。

でも、その結果がこれ。
せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。
二人には、幸せになってもらいたかった。


「波人。君が流海を支えろよ」

「響?」

「流海を、絶対手放すな。あいつを、幸せにしてやってくれ・・・!!」

響は、波人に頭を下げた。
心からの願いだった。


***


また、彼女は海に来ていた。
一人潮風に吹かれながら。

何も考えずに。

海は大好きなんだ。
大きくて、安心する。


一通の手紙が響から送られてきた。




『流海。
自分勝手だってことは分かってる。
ごめん。本当にごめん。
でも、これだけは譲れないんだ。

俺の事は嫌いになって良い。

でも忘れないで。
君は一人じゃないよ。

流海のこと、愛してた。』





その短い手紙の内容をかみ締めて、
器用に紙飛行機を折った。

その手紙で出来た紙飛行機を太陽にかざし、


思いっきり海に飛ばした。


「無理するなよ」

波人が、優しく流海の髪を撫でた。
とても優しく。

「流海は一人じゃないんだから」

「波人・・・」

「俺は、ずっとここにいるから」

その囁きが、心地よくて。
彼の顔は優しく微笑んでいて。
このとき、初めて彼の事を視たのかもしれない。
流海は、波人の事を分かっていなかったのだ。

涙が出そうになった。
こんなに近くに居た。



「俺は、流海のことがずっと好きだから」



流海は彼を抱きしめた。
なんて暖かいのだろう。

海に飛ばされた紙飛行機は、

ゆっくりと螺旋を描いて水平線に消えていった。

さようなら、私の恋。

でも、やっと見つけた。

彼の心。


「響なんかだぁいっきらい」


そっと呟いて、空を仰いだ。

夕陽が綺麗だ。

でもあの日の夕陽と違って、
キラキラと希望に溢れていて。


忘れない。


あなたのくれた恋。


あなたのくれたもの。


夏になったらまた、


皆で海に来れる。そう信じているから。



私はもう大丈夫。

ここに大切な人が居る。


大丈夫。

彼がこんなにも愛しい。


彼がここに居なくても、きっと世界は回り続けるから。



………

ほのぼの?難しい・・・。
キリリク77番、氷霞様に捧げます。
ご希望に添えたでしょうか。
こんなものでよろしければ、またキリリクお願いしますね。
では、またのお越しをお待ちしています。

up by 2006.12.31