2:Noel



パーティー用に用意されたのはやはり黒いシンプルな甘さを抑えたワンピースドレスだった。
ローレンスに促されるままに、エリザベスはそれに腕を通す。
舞踏会なんて行った事がなかった。


「踊らなくたって見ているだけでいいのよ」


ローレンスはエリザベスを安心させるように言った。
黒一色のエリザベスに反して、彼女は煌びやかな金をあしらった紅いドレスを着ていた。
今夜のパーティーは、ただの娯楽目的のものではない。
アヴリーヌ家が催し、さらにマレウス家が招待されているのだ。
他にも名声高い貴族達が多く参加するのだろう。

マレウス家、アヴリーヌ家に良い印象を持ってもらえれば、
確実に地位が安定するのだから。



「ほかにも、子ども、いるの」

「ええ、多分それぞれの跡継ぎや連れ子がいると思うわ」



その答えはエリザベスの心をさらに憂鬱にさせただけだった。

(煌びやかな服に身を包んだ同年代の少女達。 きっと壁際で佇む私なんてそこらにいる使用人と同格に見られるに違いない。 いや、マレウス家の跡継ぎとおだてられるか。 決して、私、エリザベスとしては誰も見てくれまい)


あの、ノエルも。


なんでノエルの事が頭を過ぎったのかは分からない。
でも、何故だかその時、エリザベスは 王子様のような煌びやかな格好をした彼が容易に想像できたのだ。


(きっと綺麗な女の子と素敵なダンスを踊るのだ。 そうすれば良いと思う。本当に。)



***


杞憂な気分を残したまま、遂に時計はパーティーの始まりの時刻を告げた。
いつもは二つに結い上げた髪も、今日は降ろしているし、 流石に地味すぎだと気付いたのかローレンスが、黒いレースのリボンを 髪に絡ませ、薔薇の造花を飾ってくれた。 血色が悪い顔には薄く化粧をした。
それでもやはり、時代にそぐった格好ではない。
一昔前の、お姫様だ。


伯爵とジャックは飾らない燕尾服にシルクハット姿 (ジャックもさすが伯爵の縁者なだけあって、よく似合ってる) 、ローレンスの紅いドレスも色が暗いので よくマレウス家のなかに馴染んでいた。

ああ、そうか。
私だけが時代に取り残されているのではない。
マレウス一族自体が、時代に取り残された旧家の一族なのだ。
私達は時間の止まった城の中で、 呪われた血筋を疑う事なく、暮らしてきたのだから。



四人揃って会場に入った。
楽隊が演奏する優雅な音楽が流れる中、大勢の煌びやかなドレスを 着た人々が談笑に勤しんでいた。

私達が会場に入ったと同時に、何人かが「あっ」という声を上げた。


「マレウス伯爵ではないですか!」


一人の男が伯爵にそう声を掛けたと同時に、 会場は一瞬で静まった。
音楽だけが、変わることなく響く。


「・・・ミスター・ノーランド」

「皆さんおそろいで。流石マレウス一族だ、格が違う」


目を細めて口角を上げる男は、 とても背が低かった。


「彼は、イーノス・ノーランド裁判員だ。法廷では随分と、お世話になる方だ」

「そんな、伯爵公、おだてないで下さいよ」


にやにやと笑う男を汚らわしい、と思った。
伯爵は彼を嫌っていた。
伯爵の表情は察し難いが、その時の顔は嫌悪感を露にし、 汚らわしいものを見る目つきだった。
伯爵は苦々しい顔で男を見下ろしていた。


「おお、この二人が後継者ですな? 素晴らしい、悲劇の一族にはピッタリだ」


嘗め回すような視線に鳥肌が立った。
彼は我が一族にとって凶事をもたらす。
そんな気がした。


それでは私はこれで。

ノーランドは薄くなった頭を下げると、 ニタニタ笑いを残したまま去ろうとした。
少し歩いたところで首だけで振り返る。


「エリザベス・マレウス次期当主。 噂通り、不気味なくらいに美しい」


目が合った。
唇が囁いて、またつりあがった。


「その内なる悪魔は今夜、誰を襲う?」



瞬間、吐き気に襲われた。
眩暈がして足元がふらついた。



「ちょっとエリザ大丈夫?!」

「・・・・気持ち悪い」


一目を憚る様に、ダンスフロアの端のほうへと移動した。
部屋の隅で蹲る。気分が悪かった。


煌びやかな音楽に合わせて、 男女が優雅にステップを踏む。

その様子をじっと見ていた。
伯爵とローレンスが踊っている。
ジャックも何処かで可愛い女の子でも 引っ掛けているのだと思う。
あれで、彼は女受けが良いらしい。


同年代らしき少女達が数人、 誰かを取り囲んでいた。



「お噂どうり素敵ですわ、わたくしと踊ってくださらないかしら」


うっとりと頬を染めた少女が、 そう呟きながらエリザベスのすぐ横を過ぎていった。
どうやら取り囲まれている男は 相当な紳士、らしい。


興味はなかった。
が、視界に入ってしまったのだ。


少女達に取り囲まれた 予想通り、王子様のような彼――ノエルの姿を。



「ノエル様、もっとお話が聞きたいわ」

「わたくしにも聞かせてくださらない?」

「良かったら踊りません?」

「お近づきになりたいの」



彼女達は親に彼と親しくなるよう命じられているのだろうが、 それとは関係無しに親しい関係になりたいほどに 彼は美麗だったのだろう。


彼に選ばれるのはあの中の一体どの子なのだろう。


一瞬そんな考えが頭を過ぎったが、 私には関係ない。すぐに目を逸らした。



「ごめん、私は興味がある女の子がいるんだ」



彼のよく透った声が響いた。
その一言に、今まで騒いでいた女の子達、 そしてその様子を見ていたその子たちの親、 ダンスフロアの皆が静まり返り、彼を見た。


それでも私は顔を上げなかった。
どんな子かどうかわからないが、きっとどんな女の子よりも 可愛くて、優しくて、素晴らしい子なのだろう。
私には見守る気がなかった。
私は惨めにこの隅で時が過ぎるのを待つだけ。


そう、それは時代に取り残された一族のように。



「この中で一番素敵なお姫様、私と踊ってはくれませんか?」



その声に思わず顔を上げると、 目の前に手を差し出したノエルの姿があった。


私と目が合うとにこり、と微笑み、 呆然とした私の頬に手を伸ばす。


「エリザベス、貴女は美しい。私は貴女のような人を今まで見たことが無い。 どうか一曲だけでも踊ってくれないだろうか」



白い手袋をした手が頬を撫でる。
突然の事に驚きながらもゆっくりと頷くと、 彼は私の腕を取り、そのまま立ち上がらせた。


ダンスフロアを、二人で横切る。


今や、舞踏会に来ていたもの全てが 私達を凝視していた。


「なんであの子なの?」

「あんな地味な子なの?」


小さな呟きが聞こえた気がした。
そう、なんで私なのだろうか。


「音を」


ノエルが短く指示すると、手を止めていた弦楽隊が 我に返って演奏を始めた。ワルツだ。


スロウなテンポでステップを踏む。
ワルツに自信は無かった。
しかし、ノエルがリードしてくれたおかげで、 私たちは滑るように踊り始めた。



「確かに今まで目立たなかったが、 あの白い肌、銀色の髪、シンプルな漆黒のドレス。 とても、美しい」


誰かがつぶやくと、 他の誰かが思い出したように身を乗り出した。



「あれはマレウス卿の跡継ぎ、 エリザベス嬢ではないか?」




ざわめきだした会場を気にするように ノエルの顔を見れば、彼は安心させるように 微笑んだ。



「・・・私達とても目立っている」

「嫌かい?でも君のことで騒がれている気がするが」

「私なんか誘うから・・・」

「あの誘い方は、悪かったかもしれない。 でも仕方ないんだ。緊張してしまってつい、ね。 ほら、今も凄い緊張してる。」


少し震えた彼の声に、更にこっちまで緊張してしまう。
そのまま一曲踊り終えると、 まだ騒がしい会場を後にして、二人で一目散に駆け出した。



***




「どうして、私?」


ノエルは首をかしげた。



「言ったじゃないか、君が一番美しいって」

「嘘。だって他にも――」

「一目ぼれだったんだ」


中庭のベンチに腰掛けたまま、ノエルは私の顔を覗きこむと、 私の身体を引き寄せた。



「好きなんだ、君の事が。 もう、どうにも出来ないほど君が恋しいんだ」



まるで夢をみているかのよう。

こんな素敵な人に、好き、だなんて。



きっと夢よ、夢に決まっているわ。





そう分かっていながらも、
私は浮かれてしまっていた。

ふわふわと、地面に足がつかないような状態で、


甘美な泡に溺れた。




「私もよ、ノエル。貴方が好き。愛してるわ」




そのまま彼に身体を委ね、 彼の暖かい体温を感じた。





それは今まで生きていて一番



幸せに思った瞬間だった。






ねえマリー。


どうして私はあの時、


それが悲劇に繋がるって、



そう、思わなかったの?





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by 080222