ちいさな頃から私は莫迦な子でした。 鈍臭くて、頭の悪い、莫迦な子だったんです。 義父は私の事が嫌いでした。 母は私が産まれてすぐに死んでしまった父を悲しむあまり、 薬無しでは生きられない身体になってしまったのです。 その時に本家の計らいによって再婚したのが今の義父です。 母は本家からそれなりに近い位置に居たために地位と金目当ての 男は腐るほど居ました。 義父が母と結婚したのは金目当てでもなんでもありません。 伯爵の勧めでした。 何故義父を伯爵が勧めたのかは今でも私にはわかりません。 義父は本家からとても遠い人でしたし、定職にもつかずに酒に飲まれる毎日。 義父からは常に強い酒の匂いがしたのを今でもよく覚えています。 私には義父が良い人だとは結局一度も思えなかった。 睡眠薬では物足りず、麻薬にまで手を出した母は別に義父などどうでも良かったのでしょう。 母は変わってしまった。 謙虚で美しかった母は今では昼も夜も関係無しに何時も派手な服を着て、 濃い派手な化粧で自分を飾っています。 母は義父同様酒か薬かが入っているようで、瞼は眠たそうにとろんととけています。 だらしなく着崩した服に、下品に開いた口からは汚く涎が垂れています。 ああ、悲しい。 母には私が分からなくなっていました。 父が死んだあの日から、母には父以外の記憶は残っていなかったのです。 私は義父が嫌いでした。 母をまるで娼婦のように変えてしまった。 全部、義父が悪いのです。 母を返して。 私のお母さんを返して。 私が喚くたびに義父は私を殴りました。 Chapter : Elizabeth 満月の夜の翌日は、必ず伯爵の部屋に薬を貰いに行く。 大きな赤い錠剤は自分の体内の飢えた化け物を沈める為のものである。 エリザベスがそれを飲み込んだのを確認すると、 伯爵はあらためて大きな瓶を眺めた。 赤いラベルの瓶である。 「エリザベス、そろそろ身体が辛いのではないのか?」 皮肉である。 伯爵は気付いていた。 エリザベスが”食欲”を抑えている事を。 「慣れない事をすると、死に急ぐ事になる。お前は私の跡継ぎの一人だ。 簡単に死ぬわけにはいかないのだ」 エリザベスは口ごもった。 無口な彼女は自分の感情を表に出す事はあまり無い。 何を思っているのかは伯爵でさえ把握するのは困難だ。 そしてだんまりを決め込んだ彼女が暫くは何を言おうと口を開かない事もまた、 伯爵は知っていた。 だからあえて伯爵は話題を変えた。 エリザベスが口を出さずにはいられない話題だ。 「マリーは、そろそろ起きた頃かな?」 思ったとおり、表情を変えた。 エリザベスはマリーを異常に可愛がっていた。 過保護といわれるくらいに。 普段、表情に乏しい彼女でも マリーの前でだけは、人間らしい表情を作るのである。 自分にマリーを重ねていたのかもしれないが。 「・・・・伯爵、なんでマリーを」 「なんだエリザベス、不満そうだな」 「・・・・・・・約束が違う」 俯き、唇を噛み締めるエリザベスは腕に抱いたぬいぐるみを握り締めた。 一滴の赤い雫が顎を伝い、流れ落ちる。 「やめときなさい、エリザベス。唇を噛み切るつもりか?」 漸く顔を上げたエリザベスは、恨めしそうに伯爵を睨みつけた。 目が酷く充血している。 ヴヴヴ、と呻った。息が荒い。 バリ、という音と共に、縫い包みの布が裂けた。 「エリザ、自分を抑えなさい」 彼女は腹の中で飼う、化け物、に意識を奪われようとしていた。 血が欲しい、その欲望のままに動く化け物。 さすがの伯爵も少し慌てていた。 完全に今目覚められたら厄介だ。 まだエリザベスの体力では化け物を完全に支配下には置けない。 もし目覚められたら、彼女の体力が尽きるまで監禁する他方法は無い。 「は・・・ハクシャ・・・ク・・」 「エリザ」 「オナカ・・・空イタ・・・」 「エリザベス!!」 伯爵の声が届いたかのように、 す、と眼球から赤みが引いた。 一瞬のうちに元の彼女に戻る。 途端、彼女はうろたえはじめた。 またやってしまった、と。 伯爵は溜息をつき再び瓶を渡した。 エリザベスは流れ落ちる涙を拭いながら瓶の中の錠剤を、 口に流し込む。 「伯爵・・・」 エリザベスは泣きはらした顔で、伯爵を見上げた。 「わたし、は、莫迦な子っ・・・?!」 どうしても、血を抑えられない。 それは本家の血が濃く出てしまったエリザベスには仕方が無いことだ。 ただし、彼女が血を求める自分を認めないかぎり、苦しみは続くだろう。 それでもエリザベスは嫌だったのだ。 血を欲する自分を。 認めたくなかったのだ。 化け物となんら変わり無い、自分の姿を。 彼女は、一瞬でも長く、ただの少女として生きたかった。 せめて血に呑まれるそう遠くない未来まで。 伯爵は、何も言わず彼女の頭を撫でた。 お前は莫迦だ。 莫迦な子はいらない。 俺達の前に姿を見せるな。 地下室へ入ってろ。 義父はそういって何度も何度も私を殴りました。 殴られた足や腕は痣になりました。 莫迦な子 莫迦な子 私は莫迦な子なんです。 母も救えない無力な子どもなのです。 その後私は伯爵家に引き取られました。 私がそれから母に会ったのはたったの一回だけ。 幸せそうに笑んだ母は、 花の様に可愛らしい赤ちゃんを抱いていました。 なんでこんなに胸が苦しいのでしょう。 ああ、私の居場所はもうなかった。 相変わらず無茶な生活をしていた母は薬と酒を放せなくなっていました。 もう手を付けようの無い位に。 本家からは私が引き取られた時に既に縁が切られたといいます。 私の知っている母は見る影を失っていました。 鈍感ねえ、どこの雌猫かしら。 莫迦な子。 私の母は死んでしまいました。 今あの家に居るのは母の姿をした化け物です。 ・・・・いいえ。 人の事言えない。 私も化け物。 私も腹の中で養っている化け物にその内身体をのっとられてしまうのでしょう。 莫迦な子 莫迦な子 母を殺したのは義父です。 それでも私には、義父に逆らう事ができない。 結局のところ 私は今でも怖いのです。 義父が振り上げる拳が。 ←back by 070629 |