空にはまんまるお月様。 一点の光もない闇夜を照らして。 伯爵さまと十の同士。 今日も秘密の密談会。 さあ味わうが良い、至福の味を。 さあ謳うが良い、イノチの叫び。 晩餐会に参りましょう。 5:Dinner party 壁に備え付けられた蝋燭が、歩ける程度に点々と廊下を照らしている。 おかしい。 今は深夜。屋敷の者は眠りについている時間帯だ。 それに何かの理由で明かりを灯しておくならば辺りが見渡せるように蝋燭を灯しておくはずだ。 それをわざわざ、微量の、最低限の明かりしか灯されていない。 ―――まるで一部の人間にしか分からないように灯したかのように。 マリーは壁伝いに、ゆっくりと歩いた。 勿論、目指すは食堂である。 ひやりとした床の冷気が素足を伝って背筋を駆け抜ける。 カーディガンの裾をぎゅっと掴み、ゆっくりと足を進める。 こんなに恐怖を感じたのは初めてだ。 「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」 自分を励ますようにして呟く言葉は長い廊下の先へ呑まれてゆく。 この廊下の先が食堂である。 途中から蝋燭が消えていた。元から灯されていなかったようだ。 しかし全くの闇になったわけではない。 ―――食堂から、光が漏れていた。 光に誘われるようにして扉に近づいた。 食堂の扉は閉ざされている。 とても豪華な装飾が施された扉はとても大きく、重い。 光は、その鍵穴から漏れていた。 扉の取っ手と鍵穴はマリーの頭一個分高い位置にある。 中に入ろうにも、鍵穴から様子を伺おうにも背が届かなかった。 話し声も聞こえない。中には誰も居ないのだろうか。 諦めて部屋に帰ろうか、と思った矢先だった。 「マリーは寝付いたのか」 その声にマリーは思わず扉を凝視した。 聞きなれたそれは伯爵の声である。 そろり、扉に近づき、ぴた、と耳を扉に当てる。 会話までは聞こえない。 しかし、人の動く気配は確かにした。 覗きたい。 辺りを見渡すと、扉の横に木箱が置いてあるのが目に付いた。 あの木箱に乗れば鍵穴から中が覗きこめそうだ。 音をたてないようにそれを扉のほうへずらし、 マリーはその上に乗った。 鍵穴は大きめだ。十分、中の様子を伺える。 しかし、思わず躊躇してしまう。 本当に覗いて良いのか、という後ろめたさがあった。 また、覗いたらもう戻れない、という思いも。 戻れない、とはどういう意味なのか。 自分でも分からなかった。 伯爵に会いたいのなら、扉を叩けば良い。 それをしないのは、怖いからだ。 怖い。 なんでこんなにも怖いんだろう。 何が怖いんだろう。 マリーは疑問を頭から振り払い、 もう一度裾を握りなおすと、覚悟を決めて鍵穴を覗き込んだ。 そこは、別世界だった。 大きな食堂。 中は思ったよりも薄暗い。 蝋燭が数本、灯されているだけなのだ。 その中、長机には六人の姿があった。 暗い。 はっきりとは顔が見えなかった。 「乾杯といこうか」 伯爵だ。 彼らの中心に居るのは伯爵のようだ。 六人はそれぞれ、ワイングラス持つ。 それに、赤々とした液体を注ぐ。 赤ワインだろうか。 ちら、と一瞬蝋燭が揺らいだ。 ワインを注ぐ少女の顔が見えた。 「エ・・・リザベス?」 乾杯、と合わせられたワイングラス。 揺らめく蝋燭。 エリザベスだけではない。 ジャックにローレンス。 今朝、会ったばかりの二人の男。 彼らは今朝方食堂で朝食を採ったメンバーである。 これは夢、だろうか。 マリーは魅入られて鍵穴から目が離せなくなっていた。 だから、気付かなかった。 ―――後ろからやって来た足音に。 「おやおや、覗き見とは感心しませんね」 驚き、木箱から落ちたマリーをよそに、青年、椎名は食堂の扉を開け放つ。 あんなに重そうだった扉を、あんなに開けてはならないと信じた扉を、いとも簡単に。 「伯爵、今参りました。それと、お客人が」 椎名はにっこりと笑顔でマリーを立たせると、肩に手を乗せて食堂の中へと押し込んだ。 伯爵は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに何時もどおり、 マレウス家当主たる顔に戻る。 「二人とも、席に着きなさい。皆が待っておる」 マリーは伯爵の隣に座らせられた。 そこからでもたった数本の蝋燭の明かりでは暗くてよく見えない。 しかし、そこは中央の伯爵の席。 普段とは違い、一人ひとりの様子が事細かに見渡せる席なのだ。 長机の上には白い大きな布が被せられた物が置かれていた。 とても大きな、豚、二匹分位はあるだろうか。 そして各々、取り皿にナイフにフォーク、そして並々と赤い液体が注がれたワイングラス。 「さあ、はじめようか」 伯爵の一声で、その白い布が取り払われた。 だが、先ほども言ったように暗くてよく見えないのだ。 それ、は何かの丸焼きなのだろうか。 彼らはそれぞれ、目の前の物体にナイフを突き刺してゆく。 「はくしゃく、なに、をしているの」 口から出た声は酷く擦れていた。 伯爵は目を細めてマリーの頭を撫でた。 「晩餐会、だよマリー。我が一族のしきたりなんだ。 我々マレウス家を継ぐものの身内だけしか知らない古いしきたりだ。 マリーも参加できる事を誇りに思いなさい」 伯爵は何も咎めなかった。 マリーが夜中に屋敷をうろついていた事も、食堂を覗いていた事も。 その時、マリーは自分の分まで用意されていたワイングラスに違和感を持った。 マリーが食堂に入ってから誰かが用意したわけではない。 それは最初から、あったのである。 まるでマリーが来る事を知っていたかのように。 微量に灯されていた蝋燭。 それは一部の人間の為にと灯されていたのではない。 恐らく、マリーの為だ。 そう、マリーは伯爵に導かれていたのだ。 再び、長机に目を戻すと既に彼らはそれを口にしていた。 豪快に、切り取られたそれはジャックの大きな口の中へと消えてゆく。 滴る汁。 誰一人、言葉を交わすことなく厳かな様子は、神聖な儀式のようだ。 「・・・ふふ。うふふふふ」 突然、エリザベスが笑い出した。 右手にナイフ、左手にフォークを持ったまま俯いた彼女は、 何が可笑しいのか耐えられない、といったように笑い続ける。 「エリザベス・・・・?」 マリーが小さな声で話しかけると、エリザベスは顔をマリーの方へ向けた。 髪は乱れ、綺麗な翡翠色の碧眼は血走っている。 大きな笑みをたたえて歪んだ口元は赤く――――。 ・・・・・赤? ・ ・ ふと、マリーはその匂いに気が付いた。 独特のにおい。 それは手元のワイングラスからだ。 初めて嗅ぐものではなく、それは、 鉄分の匂いである。 エリザベスのナイフに刺さった肉片。 長机の上の大きな塊。 滴る赤。 鉄分の香の漂う飲み物。 ―――その、机の上のものはなに? 伯爵は妖艶な笑みを湛えて座っている。 狂乱するエリザベス。 ただ、食すことのみに専念した人間達。 ナイフとフォーク、真夜中の晩餐会。 仄暗い食堂に集う仲間達。 マリーはくらり、と一瞬眩暈を起こす。 (人類の罪などは在りはしないのだ。) ・ ・ ・ 机の上に乗せられた、肉の塊。 それはおそらく殆どの人間が口にしたことの無いだろう、極上の肉。 独特の香に酔いしれて、 その歯ごたえに感嘆の吐息を漏らす。 新鮮なほど、良い。 蝋燭の火が揺れた。 長机に横たえられていたそれは紛れもなく、 つい数時間前まで生命活動をしていたのであろう 人間であった――――。 .....The first chapter "Mary" end. The second chapter "Elizabeth" is followed.... ←back by 070528 |