2:Whole family



マレウス家の食堂は、この城の中で最も大きな部屋の一つである。
大扉を入ると正面に据えられた暖炉が煌々と炎を燃え滾らせ、 部屋の面積の殆どを占める長机は、 椅子や扉や暖炉と同様なアンティーク調の装飾が施されている。


奥の厨房に続く扉からは使用人がひっきりなしに出入りし、朝食の準備に忙しそうだ。
数日ぶりに主人である伯爵が帰ってきたのだ。今朝の朝食は豪華に違いない。

マリーとエリザベスが食堂へ入ると、既に数人は席に着いていた。
揃って厨房の使用人たちに文句を入れるローレンスの隣に座る。
と、ぐっと向かい側に座っていた男が顔を近付けてきた。

碧色の瞳。
マレウス家の人間だ。

「…マリーか?」

マリーが吃驚して頷くと、 そいつはわはははは、と愉快な声を立てて笑った。
そして、まだ困惑した表情を浮かべたマリーの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「お前は俺の名前も忘れたのか?」


陽気なその声には聞き覚えがあった。


「…ジャック兄?」


がっしりした体つき、陽気な表情、 マレウス家では稀な白すぎない肌や短く切った髪型。

前に会った時よりも大人で、男らしくなってはいたが、 それは確かに数年前までこの城に住んでいたマレウス家時期当主候補の一人である ジャック・D・マレウスであった。

マリーは、年の離れた彼の事を「ジャック兄」と慕っていた。
ジャックは昔から面倒見がとても良く、 彼について回る幼いマリーやエリザベスに沢山のことを教えてくれた。

だが、マリーが忘れるのも無理のない話だ。


彼はこの数年間、生まれ育った家でちょっとしたもめ事があったり、 母親が危篤だったりなどが続き、この屋敷には顔を出せなかったのだ。


「大きくなったなぁ、二人共」


ジャックは二人の顔を見比べ、しみじみと感嘆の溜め息を漏らした。

頬杖を付いたエリザベスは、眉をしかめ刺々しい口調で答える。


「この間会ったばかりじゃない」


エリザベスはジャックに子供扱いされるのを極端に嫌がった。
次期当主候補同士という理由も勿論あるだろう。
だが、ライバル意識というよりもエリザベスはジャックという人そのものを毛嫌いしているようだ。
昔はマリー同様彼を慕い、よく面倒も見て貰っていたのだが、 いつからかエリザベスはジャックを避けるようになったのだ。

マリーが心配そうにエリザベスの手をぎゅっと握ると、 柔らかい微笑みをマリーに向けながら抱き寄せ、ジャックを睨みつけた。


「マリーに変な事教えないで頂戴。というよりも、マリーに近づかないで」


睨みつけられたジャックの方はやれやれ、と肩を竦める。

「マリーが困ってんだろ。いい加減離してやれよ」

「貴方に言われる筋合いはないわ。死神さん」

「!!っ…」

その言葉に、ジャックは目を見開き顔をしかめた。
その目は怒りを露わにし、鋭い光を放っている。
そして、苦虫を噛みしめるように、一言吐き捨てた。


「お前が言えることなのかよ…血にも抗えない餓鬼が」


その声はとても低く、明らかに憎しみが込められていた。
その場の空気が凍り付いたように静まり返った。
エリザベスの腕のなかでその空気を察したマリーは困ったように眉を寄せた。

と、その時、パンパンと手を叩く音が食堂に鳴り響いた。


「さぁ、食事を始めようではないか」


伯爵は、何事も無かったかのように優雅に椅子に腰を下ろした。



***



伯爵の左手にはローレンス、マリー、エリザベスの順で三人が席に着いていた。
そして右手の一番手前にはジャックが、 ジャックの左隣には良く太った中年の男と長身の男が座っている。

「諸君。元気にしておったか?」


伯爵の言葉に、一同が静まり返る。
六対十二個もの目が伯爵を見つめていた。


「では早速朝食を、と言いたい所だが、今回は顔ぶれが大幅に変わった。紹介しよう」


伯爵が目配せすると、太った中年の男が立ち上がった。
身体が大きいせいで、妙な圧迫感がある。
「ルイス・D・マレウス。我が本家の遠縁に当たるD家の長男だ。 政治家でもある。今回は弟であるジャックの付き人として来て頂いた」

ルイスは口元を歪ませ、傲慢な目つきで嘗め回すように食堂を見回した。
政治家という地位も金と家柄だけで手に入れたのだろう。
マリーは政治家が何なのかは良く分かっていなかったのだが、 脂ぎる肌や大きく丸い身体やはち切れんばかりの燕尾服に目が釘付けだ。
マリーは彼が稀に夕食に出る、丸焼きにされた豚に良く似ていると思った。


マリーはやっとの事でルイスから目を放すと、こっそりとジャックを盗み見た。
ルイスの弟がジャックだということは、彼らは兄弟、となるのだろう。
マリーは基本的に拾われてから城から出た事がなかったので、血のつながった兄弟というものを 実際に見た事が無かった。
本によると、兄弟は良く似通っているらしい。
が、ルイスとジャックはまるで似てなかった。
ジャックは豚なんかに似てはいない。

ジャックと目が合った。
マリーはなんだかいけないことをした気がして、慌てて目を逸らした。


「ギニー・B」


ルイスが席に着くと伯爵の声と共にルイスの隣に居た長身の男が立ち上がる。

途端にきつい匂いが漂ってきた。
酒だ。
ギニーと呼ばれたその男はとても背が高かった。絵本で見た巨人のようだ。
だがそれ以上にマリーを驚かせたのはその出で立ちだった。


服はボロボロで髪や服は伸ばしっぱなし。
既に酒が回っているらしく、顔は赤みがかっていた。

「ルイスと同じく、彼はエリザベスの付き人としてこの城に滞在する事になった。 血は繋がっていないが彼女の義父親だ。」

今度こそマリーはぎょっとしてエリザベスを見た。
エリザベスのお父さんだなんて。

血がつながっていないのは歴然だった。
エリザベスの象牙のような肌や碧の瞳を彼は持っていなかったのだから。

考えてみればエリザベスは幼い頃から次期当主候補としてこの城にいたのだ。
ジャックよりも幼くして家族と離れて暮らす事になった彼女にとって、 やはり家族の存在は特別なのだろうか?

しかしマリーの思いに反してエリザベスは忌々しげにギニーを睨みつけていた。
ギニーはマリーの視線に気付き、じろりと彼女を睨んだ。
思わず肩を竦めたマリーの肩を抱いたエリザベスは、小さく舌打ちした。


「もう一人紹介しよう」


伯爵が一つ手を叩くと、後ろに控えてた青年が伯爵の傍らに立った。
漆黒の髪と同色の目と眼鏡。
東洋人のようだ。
顔には幼さが残っている。


小柄なスーツ姿の彼は、手に黒革張りの手帳を持ち、不適な笑みを浮かべている。


「彼は椎名君だ。東洋の島国出身。幼く見えるが歳は二十台半ば。 先日から私専属の秘書として雇っている」


礼儀正しくお辞儀した椎名に、ローレンスは僅かに眉を顰めた。

大体の今回のメンバーは聞いていた。
しかし、秘書を雇ったなんて、初耳である。


伯爵は椎名を下がらせると、グラスを目線上に持ち上げた。
一同がそれに習い、グラスを持ち上げると伯爵は声を上げた。


「乾杯」


マリーは奇妙な胸騒ぎを感じていた。
突然やって来た次期当主候補の付き人、新しい秘書。
エリザベスはあからさまにギニーを嫌っていた。
伯爵は一体なにを考えているのだろう?


―――これから何かよくないことが起こるのではないか。


そんな考えを振り切るようにマリーは朝食に手を伸ばした。



back

by 070417